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焼津神社 [神社]

今日は、先日訪れた「焼津神社」をご紹介しましょう。
焼津は家のある富士宮から70キロほど離れており
地元、というわけではありません。

しかし、父親の出身が焼津のため
我が家のお墓が焼津にあります。

16日が母親の命日なので、それに合わせて
お墓参りに行ってきました。
その帰りに、前から訪れてみたかったので
足を伸ばして行ってきました。

焼津神社は、意外に有名なものがありますし
焼津という地名の由来も面白いですよ。

では、早速写真をご覧いただきながら
徐々に説明をしていきましょう!


まず、鳥居からの入り口
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焼津神社~~っ!
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境内に続く道横に、なにやら記念碑みたいなものがありました。
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南方にありそうな木が植えられていました。
きっとその方面についてのものなのでしょうか。
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境内に稲荷神社も祀(まつ)られていました。
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いろんな神社が混在しているのも興味を引きますね。
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ほらっ!
天満宮もありましたよ。いろんな願い事が一か所で、できますね。
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いままでは、ほんの序章。
ここからいよいよ本番ですっ!

まず、国歌である「君が代」の中に出てくる
「さざれ~、石の~~」の
さざれ石があったのですっ!
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日本の各地にあるのでしょうね、さざれ石は。
ま、でもいろいろ楽しめるものの、一つとみてもらえれば
いいのかな、と思いますよ。



さあっ、いよいよメインの登場ですっ!
日本武尊(やまとたけるのみこと)です!

第十二代 景行天皇の息子で、天皇の命を受けて
ヤマトの領土を広げるために、日本各地の
他の民族をヤマトに従わせるための戦いに一生をささげた人ですね。

本来、自らも天皇のなる血筋の人ですが
戦いに明け暮れて、天皇になることなく一生を終えました。

戦いが終わって、親である天皇のもとに帰ってきても
次のまた次の戦いの指示を受けて
都に変えることがほとんどなかった、と言われています。

最後は、戦いの中傷つき、病となり
都に変えることもなく、亡くなりました。
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日本武尊が敵と戦った際に、敵に野に火を放たれて
一面火の海になり、持っていた剣で草を薙ぎ払って
九死に一生を得ました。

野の火を薙いで、逆に敵を火責めにして焼きつくした。

焼き尽くした→やきつ→焼津 となったそうです。
これが焼津の地名の由来で、焼津神社は日本武尊を
祀った神社です。

りりしいお顔ですが、どこか悲しそうです。
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その理由は、彼には奥さんがいたのですが
奥さんと部下を連れて乗っていた船が嵐で転覆しそうに
なったときに、

なんと、奥さんが、自ら海に身を投じて
海の神の怒りを鎮めて、日本武尊や部下を助けたのです。

勇猛な方ですが、つきまとうエピソードは
悲しいものが多いですね。


なお、この時に草を薙ぎ払った剣を祀った神社があります。
草薙神社、といいますが、私は草薙に住んでいた経験が
あります。

いつか草薙神社もアップしたいですね。


さて、拝殿を遠くから見ました。
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近寄ってみました
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更に近寄ってみました。
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木越に見た拝殿です。
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左が今まで見ていた拝殿で、右が本殿です。
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本殿の屋根です。
この建築方法は神社によって特徴があり
私は、本殿の屋根をみるのが趣味です。
ねっ、じっと見るとかっこいいでしょう??
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