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私が間違っていたかも知れない [人材育成のヒント]

最近この話題を良く持ち出しているが、素直になって
人の話に耳を傾けられることが、結果自分にとって良いということは
過去の素晴らしい人たちが伝えてくれていることだし
自分も、そうありたいと思っている。

素直になれないのはどういう時かというと
私が正しいと思う思っている時には、なかなか譲ることができない。

私が正しい、すなわち相手が間違っている、という判断になりがちだ。

私は正しい、でも相手の言うことも理解しよう、であればいいのだが。


さて、先日このことを考えていて、ふと思い出したことがある。

私は会社員を20年近く務めた経験があり、3つの会社でお世話になった。

その間いろいろあり、今となってはいい思い出のほうが
圧倒的に多い。

その時の出来事である。
私の価値観の中で、ゆるぎないものとして「秩序」というものがある。
人には理解されにくいものだが、「秩序」を保とうとする本能が強いのだ。

なので、「秩序」を乱そうとする人に対して、攻撃的になってしまう。
今では大分ゆるくなってきたが。

会社の中には、いろいろな決まりがあり、また明文化されていないが
みんなこうしている、とか、普通はこうする、という暗黙のルールがあり
そのルールをほとんどの人が守ろうとしている。

しかし、中にはその暗黙のルールを自分流に解釈して
人間の集団の秩序を乱す人がいる。

そういう人は我慢がならず、若いころはよく先輩に向かっても
文句を言っていた。

そう、私が正しいと思っていたからだ。

年を経て中堅クラスになったときは、その秩序が
社内のルールというよりも、組織の統制というものに
私の中で変わってきた。

会社として、そういうことをやっていいのか。
仕事のあるべき姿として、それでいいのか。
組織の秩序を保つために、秩序を乱す人間をそのままにしていいのか。

私は、正しいことを言っていると信じていた。
だから、誰に対しても、どんなときにも、そのことについて
発言したり、回答を求めた。


でも、今になって思い返すと、それが正しかったのか。

私が、ひょっとしたら間違っていたかも知れない。

私が話す内容は、確かに正しかったかも知れない。
でも、私は組織に所属していた人間だった。

組織の運営として、あやふやなことにしておくことも大事かもしれない。

組織の中間にいる人間として、他の部署との兼ね合いから考えて
敢えて、間違っていることを言わなければならないことも
あったかも知れない。


私が、会社勤めをしている時に、自分の考えが
ひょっとしたら間違っているかも知れない、と思い返すことができたら
私の進む道は異なっていただろう。

過去のことなので、今更どうのこうの言うことはないが
これからの人生、自分のその考えの指向を理解して
少し立ち止まって考えることが必要かも知れない。

そんなことを、ふと思いました。
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