三保の松原 [思ったこと]
私が生まれ育ったところが、静岡県清水市(元静岡市清水区)の
三保、というところです。
昨日の富士山、世界遺産で話題に上っているところです。
そう。
三保の松原を除外して、世界遺産に登録してもいいですよ
ということで話が進んでいる。
三保の松原から眺める富士は、本当にきれいです。
また、三保には、「羽衣の松」もあります。
天女が地上に舞い降りて、来ていた羽衣を松にかけた
との言い伝えがある「松」です。
私は、子どもの頃三保の松原の中で育ち、羽衣の松へ
毎日のように行って遊んでいました。
まだ小学校に上がる前の記憶ですが、結構鮮明に
その場面を覚えています。
ともかく、松と砂の印象が残っています。
中学2年の時に、家が引っ越したのですが
その後も、たびたびこの地を訪れています。
やっぱり子供の時期に育った場所は、懐かしいですね。
もう、45年以上の前になります。それらの記憶は。
ところが、最近は違和感を感じるのです。
それは、あれほど遊んだ砂浜が小さくなっているのです。
もちろん、子どもの頃の体感と、大人になってからの体感が
異なることはよ~く、理解しています。
子供のころに上った、高~い木が、大人になって
なんだ、こんなに低い木だったのか、とがっかりする
というパターンですね。
知ってます。
でも、それ以上に小さくなっているのですよ。
私が通っていた中学校は、三保の砂浜のそばにある
清水市立第五中学校というところでしたが
毎月、マラソン大会があり、スタート地点は
砂浜でした。
その砂浜に、100名以上の生徒が横にずらっと
並んでスタートしました。
でも、今はそれほどは並べないのです。
三保の砂浜は潮流による浸食が進んでいるのは
事実です。
そのために、人工的にテトラポットを海に沈めて
浸食を防いでいます。
どうなんでしょう?
三保の松原を世界遺産の登録へ、これからも
推進していくのであれば、抜本的な対策を
講じなければ、登録されたはいいけど
将来なくなってしまう可能性もあるわけです。
しかし、今以上人口の建設物を使って
その景観を保つってもの、文化的にどうなの?
とも思います。
既に私にとっては、思い出の地になってしまっていますが
それでも大変気になる出来ごとです。
三保、というところです。
昨日の富士山、世界遺産で話題に上っているところです。
そう。
三保の松原を除外して、世界遺産に登録してもいいですよ
ということで話が進んでいる。
三保の松原から眺める富士は、本当にきれいです。
また、三保には、「羽衣の松」もあります。
天女が地上に舞い降りて、来ていた羽衣を松にかけた
との言い伝えがある「松」です。
私は、子どもの頃三保の松原の中で育ち、羽衣の松へ
毎日のように行って遊んでいました。
まだ小学校に上がる前の記憶ですが、結構鮮明に
その場面を覚えています。
ともかく、松と砂の印象が残っています。
中学2年の時に、家が引っ越したのですが
その後も、たびたびこの地を訪れています。
やっぱり子供の時期に育った場所は、懐かしいですね。
もう、45年以上の前になります。それらの記憶は。
ところが、最近は違和感を感じるのです。
それは、あれほど遊んだ砂浜が小さくなっているのです。
もちろん、子どもの頃の体感と、大人になってからの体感が
異なることはよ~く、理解しています。
子供のころに上った、高~い木が、大人になって
なんだ、こんなに低い木だったのか、とがっかりする
というパターンですね。
知ってます。
でも、それ以上に小さくなっているのですよ。
私が通っていた中学校は、三保の砂浜のそばにある
清水市立第五中学校というところでしたが
毎月、マラソン大会があり、スタート地点は
砂浜でした。
その砂浜に、100名以上の生徒が横にずらっと
並んでスタートしました。
でも、今はそれほどは並べないのです。
三保の砂浜は潮流による浸食が進んでいるのは
事実です。
そのために、人工的にテトラポットを海に沈めて
浸食を防いでいます。
どうなんでしょう?
三保の松原を世界遺産の登録へ、これからも
推進していくのであれば、抜本的な対策を
講じなければ、登録されたはいいけど
将来なくなってしまう可能性もあるわけです。
しかし、今以上人口の建設物を使って
その景観を保つってもの、文化的にどうなの?
とも思います。
既に私にとっては、思い出の地になってしまっていますが
それでも大変気になる出来ごとです。
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