京都の小旅行 [趣味について]
先日の寺田屋アップの第二弾 第一段はコチラ
京都の小旅行の写真をアップします。
ほぼ全て、歴史に関する写真ばかりですよ。
まず、先の寺田屋で殺害された薩摩藩士9名の墓。
手前の碑の文字は、西郷隆盛がのちに書いたそうです。
この寺は、保育園を経営していて、私は尋ねた朝には
お母さんたちが子供を預けていました。
つづいて、伏見の薩摩藩邸の跡
坂本龍馬が、寺田屋で襲われて重体になった時に
ここでかくまわれたそうです。
しかし、ここでは十分な手当てができず、ちゃんとした医者が
いるところへ、坂本龍馬を連れていくために
西郷隆盛が指示をして、薩摩軍の護衛の下に
京都の薩摩藩邸へ護送したそうです。
ちなみに、寺田屋と薩摩藩邸を結ぶ川です。情緒がありましたよ。
寺田屋のそばを流れる川
この川を利用して、京都と大坂の間を荷物や人を輸送していました。
その川を見つめる龍馬とお龍さんの銅像です。
最後は、幕末の超有名な戦争。鳥羽伏見の戦いの開戦地
徳川の幕府側と薩摩、長州連合軍との戦争の火ぶたが切られた場所です
この戦争から一気に幕府が滅亡していき、江戸時代から明治になっていきました。
そのためには、大変多くの志を持った若者の命が
失われていきました。
そのことは、心に届けておきたいですね。
京都の小旅行の写真をアップします。
ほぼ全て、歴史に関する写真ばかりですよ。
まず、先の寺田屋で殺害された薩摩藩士9名の墓。
手前の碑の文字は、西郷隆盛がのちに書いたそうです。
この寺は、保育園を経営していて、私は尋ねた朝には
お母さんたちが子供を預けていました。
つづいて、伏見の薩摩藩邸の跡
坂本龍馬が、寺田屋で襲われて重体になった時に
ここでかくまわれたそうです。
しかし、ここでは十分な手当てができず、ちゃんとした医者が
いるところへ、坂本龍馬を連れていくために
西郷隆盛が指示をして、薩摩軍の護衛の下に
京都の薩摩藩邸へ護送したそうです。
ちなみに、寺田屋と薩摩藩邸を結ぶ川です。情緒がありましたよ。
寺田屋のそばを流れる川
この川を利用して、京都と大坂の間を荷物や人を輸送していました。
その川を見つめる龍馬とお龍さんの銅像です。
最後は、幕末の超有名な戦争。鳥羽伏見の戦いの開戦地
徳川の幕府側と薩摩、長州連合軍との戦争の火ぶたが切られた場所です
この戦争から一気に幕府が滅亡していき、江戸時代から明治になっていきました。
そのためには、大変多くの志を持った若者の命が
失われていきました。
そのことは、心に届けておきたいですね。
コメント 0