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人に元気を与えるミッション(役割) [人材育成のヒント]

来週、若手社員のフォロー訪問に行きます。
4年から6年前に新入社員研修で接した人たちの、研修後のフォロー訪問です。

詳しい内容は書けませんが、研修後、この企業は大変厳しい状況に置かれて
その中をくぐりぬけている途中です。

彼ら彼女らの同期は、毎年10名ほど新入社員でいたのですが
今残っているのは、各年度2名ほどしかいません。

ここ数年で、同期の仲間がほとんど退職してしまい、わずかに残っている人たちに
会いに行くのです。

恐らく彼らは辞めていく前に、退職した仲間から相談されたり、後ろ向きなことを聞かされたり
次の企業の、いいところを比較されたり、相当辛い目にあってきたと想像します。

なぜなら、私も同じような体験をしているからです。

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私が、30歳で転職した3番の(^_^;)企業には、バブルの絶頂期だったので
大量中途採用組の一人でした。同期は15名くらいいました。
新規工場を立ち上げるので、そのメンバーをということで
希望に胸を膨らませて、転職しました。
入社して最初のボーナスの多さに、驚きました。その前に働いてたボーナスの倍が支給されたのです。

ところがバブルがはじけて、新規工場から出ていくはめになりました。
古い工場へ統合されたため、最初の半年は往復4時間掛けて車で通っていましたが
体力が続かなくなり、結局単身赴任しました。

そして、始まったリストラ大会!

最初は希望者から始まり、だんだん指名されてきて、
自ら辞めていった者もいるし、不本意で辞めさせられた者もいます。

10年間在籍しましたが、3回のリストラがあり、最初15名いた中途採用同期が
残ったのは、2名になってしまいました。

一番心に痛かったのは、この出来事です。
リストラ作業中に、工場長から会議室に呼ばれて入って行きました。
机の上に、パートさんの名前が書かれたリストがありました。

私の部下に女性のパートさんが2名いたのですが、
どちらかをリストラの対象にするから選べ、と言われたのです!

究極の選択です。

どちらの方も工場の立ち上げのときから、一緒に悩んで、苦しんで
それでも、大変な工場の状況を分かってもらえない本社の仕打ちに対して
3人で、辛くて一緒に会社の食堂で泣いたこともあります。
でも、やりがいがありました。
まさに戦友と言える人たちでした。

私には選ぶことができませんでした。
私も会社員でしたので、抗することもできませんでした、その勇気が無かったのかもしれません。
どうやら、リストは残したい人から上に書かれていたようです。
ですので、リストの下にいた人が対象となりました。

そのことを上司である私の口から直接伝えたくて
彼女たちを、仕事が終わってから夜、ファミレスに呼び出しました。

伝えた後、対象となった人が、他の客がいるファミレスの中で泣き出してしまいました。
「私の人生を返してください!」 と言われました。

私は返す言葉がありませんでした。

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私が来週会う人達が、どういう気持ちでいるのかを推し量ることはできません。

でも私の役割は「喜びを与えて、元気をもってもらう」

そして、彼ら、彼女らの笑顔を見たい、です。

この思いは、研修でも、研修後のフォロー訪問でも同じです。


 心からの、最高の言葉 をつたえられるよう気持ちを作っていきます。


今日の歩数 4,937歩
 


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コメント 1

むらひで

Kさんからのコメントを、代わりにアップさせてもらいます。プライバシーに関する部分は手をくわえさせてもらいました。

むらひでさん、辛い思いを経験されたんですね、、、。
出るも地獄、残るも地獄だったと思いますが、私も以前勤めていた会社を辞めたときは本当に地獄に落ちる思いでした。

人は様々な分かれ道に遭遇します。
でも、むらひでさん、どっちの道に進んでも、幸せを掴む人は必ず掴むんです。進んだ道が幸せをもたらすのではありません。そのことを常に忘れないでくださいね。
by むらひで (2012-03-10 13:44) 

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